Vtuberは「時期尚早のカルチャー」だ
大層なタイトルがついていますが、要は「Vtuberについて僕が思うこと」を書くだけの記事ですので、あまり真剣に受け取らないでください。
そもそもVtuberって?
そもそもVtuberとはどのようなものなのでしょうか。
Wikipediaではこのように定義されています。
バーチャルYouTuber(バーチャルユーチューバー、Virtual YouTuber、VTuber)は、YouTuberとして動画配信・投稿を行うコンピュータグラフィックスのキャラクター。YouTube以外のサービスを利用する際などにYouTubeという特定のサービス名を使用することを避けるため、単に「VTuber」(または「バーチャルライバー」)と呼称することがある。
簡単に言えば「生身の人間ではなく、キャラクターがYoutuberとして活動している」状態のことです。
「バーチャルYoutuber」または「Vtuber」と呼ばれるこの存在は、2018年に大きく発展しました。
2017年末には両手で数えられる程しか存在していなかったチャンネルは、現在では優に1万を超えています。
それまでに同じような活動をしていたユーザーがVtuberとして認知されるようになったり、他の活動をしていたユーザーがVtuberとして転身(この界隈では「転生」と呼ばれる)したりするなど、その活動内容は多岐に渡っています。
Vtuberを視聴しているファン達も含めて「Vtuber文化」と呼ばれることもあります。
当初はアングラ的な雰囲気が漂っていましたが、わずか1年ほどでネット上の1つのカルチャーとしての位置を確立し、天下のNHKで番組が組まれるほどになりました。
Vtuberの動画を見たことがなくても、「キズナアイ」などの名前は聞いたことがある、という人も多いと思います。
「オワコン」どころか……
今まさに隆盛を誇っているように見えるVtuberですが、その裏では常に「オワコン」という不名誉な称号が付き纏っています。
Vtuber文化にはコアで独特な要素が多く、それを受け付けない人が数多くいるからです。
彼らはいわゆる「Vtuberアンチ」であり、常にVtuberを「終わらせよう」としています。
僕は別に彼らと戦いたいわけではないので、特に言及はしません。
どんなものにもアンチは必ずいるからです。
しかし、彼らの指摘は間違っていると感じます。
なぜなら、Vtuberはオワコンどころか、「まだ始まってすらいない」からです。
Vtuberは「時期尚早」だった
2018年の初めごろ、僕が最初にVtuberに触れた時に思ったことは、「SFの世界が来た!」ということでした。
映画「サマーウォーズ」の仮想世界「OZ」や、「ソードアート・オンライン」のような世界が身近に来た、という感動は、僕をVtuber一気にのめり込ませました。
▲理想のVtuber
あれから1年以上が経ち、Vtuber界隈にも様々な事がありました。
まさに激動の1年だったと言えます。
しかし、改めて振り返ってみると、僕の心に湧き上がってくるのは何とも言えない「コレジャナイ感」なのです。
フルダイブ式の仮想世界は実現しませんでした。
「誰でもアバターを持つ時代」はまだ来ていません。
Vtuberを視聴している画面は、去年と同じスマホやPCの画面です。
僕は、「Vtuberという文化に時代と技術が追いついていなかった」事がこの失望感の主な原因だと思っています。
VRライブなどが体験できるイベントも、以前と比べると格段に多くなりました。
しかし、それもまだ小規模なムーブメントに留まっています。
日本中、世界中からたくさんの人が同時に参加できるようなイベントはまだ技術的にも物理的にも実現不可能です。
つまり、僕が当初Vtuberに抱いた期待は大きすぎたのです。
人間は流行の熱に浮かされると無茶な妄想をしてしまいがちです。
口には出さなくても、僕と同じような失望感を抱いている人は他にもいるかもしれません。
では、Vtuberとその文化は全く無駄なものだったのでしょうか?
そうではありません。
日本だから生まれたVtuber文化
Vtuber文化は日本人の気質にとても合っています。
日本人は基本的にプライバシーをとても意識するので、自分の顔や身体をインターネット上に晒して活動することにはかなりの抵抗があります。
「自分も何かネットで活動をしてみたい…でも顔や身体は見せたくない…」というもどかしさを感じていた人は多かったのではないでしょうか。
そんな日本人特有のワガママな願望に答えたのが「Vtuber」だったのです。
- 顔や身体を見せなくて良い
- 自分のなりたいキャラクターを演じることが出来る
- 外見を自由に変えられる
Vtuberはこれらの要素を全て兼ね備えていました。
Vtuberはチャンスを創造した
「顔出し」という最大のハードルが無くなったことで、これまで表舞台に出てこなかった(出ていこうと思わなかった)様々な才能が頭角を現すようになりました。
トーク力や歌唱力に優れた人、イラストが上手い人、モデリング等の技術力が優れた人、面白い企画を作る人……
上記の人たちは才能あるVtuberさんたちのほんの一例にすぎません。
また、VRや映像表現の分野などで技術的な可能性を提示したことによって、専門的な知識に興味を持つ人も増えていきました。
一例としてVtuberの「さえきやひろ」さんを紹介しましょう。
彼女は元々は素晴らしいイラストを描くイラストレーターでしたが、自身の3Dモデルを制作するため、独学でモデリングを学んだそうです。
またある人はそれまで経験のなかった動画編集の勉強を始め、また別の人はLive2Dのモデルを制作するためにイラストの練習をするようになりました。
こうして得たスキルを活かし、仕事に繋げる人も出てきました。
こちらは滋賀県湖南市の公式Vtuber「Minami」さんですが、このデザインとモデル制作を手がけたのは先述の「さえきやひろ」さんです。
これらは全てVtuberをきっかけとして起きた事であり、逆に言えば、Vtuberというトリガーが無ければ世に出てこなかった(かもしれない)才能たちなのです。
シンギュラリティの一欠片
今や日本を代表するアーティストとなった米津玄師さんが有名になる最初のきっかけは、ニコニコ動画に投稿したボーカロイド楽曲でした。
飛行機を発明したことで有名なライト兄弟の発想の源となったのは、少年時代に夢中になっていた「凧」だと言われています。
20XX年、シンギュラリティを起こすような画期的な発明をした人が「私の原点となったのは子供時代に見ていたVtuberでした」と語る、そんな未来が到来するかもしれません。
米津玄師にとってのボカロのように、ライト兄弟にとっての凧のように、Vtuberはチャンスときっかけを多くの人に与えられる可能性を秘めていると思います。
もちろん、今はネット上のサブカルチャーの1つにすぎません。
Vtuberは「始まってすらいない」と書きましたが、もしかしたら本当に「オワコン」なのかもしれません。
しかし、私たちが過ごしているこの些細な時間も「いつかくる未来」の大事な1つのピースなのです。
そういう風に考えると、いつも見ているVtuberの動画がなんだか少しキラキラして見えてきませんか?